鍼灸学生の記録

2017年4月、女25歳。国立大卒業、スロヴェニア留学を経て,,,いざ鍼灸専門学校へ入学。学校の様子、勉学、日々の記録をここに記す。

6/16 野生のメタモンが現れた!

こんばんは。お久しぶりです。

 

いつの間にか6月の給料日を迎えました。(イエーイ✌︎)

 

週一くらいで書こうと思ってたこの日記も

 

ぜんぜん追いついていませんね…むーん。

 

生活に慣れては来ましたが、疲労が減るわけでもなく、なかなかこりゃー大変だ!

あと3年ですからね。これが。わお。

 

疲労といってもね、身体を動かした疲れではないので、変な感じなんですね。

 

中身だけハードワークでグッタリしていて、外は一日中椅子に座ってじっとしてるもんだから使い疲れたわけではない。この内と外が噛み合ってないのも余計辛く感じるんだな。

 

いっそ職場から学校までチャリでかっ飛ばして行ける距離だったら、そうしたい。

 

適度な運動はほんとーに大切。ほんとよ。

 

 

さて、、

 

今日は題名が変ですね。

 

メタモン、わかりますか?もちろん、わかりますよね。いまや親の世代だってポケGOのおかげで詳しいですもんね。

 

初期ポケモンに出てくるあいつですね。

 

紫色でね、柔らかそうでね、

 

「へんしん」しかできないやつね。

 

今日は心理学の授業を聞いていて

 

パァーっと湧いたイメージについて、お話ししようと思います。

 

メタモンに入る前に、、

なぜ鍼灸学校で心理学を学ぶのか?という疑問は持ちますか?

 

そんな人もいるかと思うので簡単に説明すると…

 

医療というのは、病気をやっつけることだけが

目的ではありませんね。(そうかな?)

 

とくに東洋医学は、病気の部分にフォーカスする西洋医学と比較すると、身体全体で考えるという特徴があります。

 

たとえば…

 

ガンになったとして、

 

西洋医学は抗がん剤で治療することがよくありますね。

 

抗がん剤はがん細胞に対して働きます。

 

このとき副作用があるのを知ってはいますが仕方がないので我慢してもらうしかありません。

 

東洋医学の立場で考えると、がん細胞だけを攻撃するのではなく、身体全体のチカラ(抽象的だけどまあ免疫だったり、“気”だったり)を上げることを重視するでしょう。

なので、抗がん剤の副作用で身体が弱ってしまうのはだめだと考えるのです。

と、こんなかんじです。

少なくともいまのところそう理解しています。

(恐る恐る書いてるのがばれるかな?笑。鍼灸学生1年目の素人小娘が書いていますから、そこんとこ留意しておくれよ)

 

…。

 

話が逸れましたので、戻りましょう。

 

医療というのは、何か目的か?

悪いところが治って患者さんが元気になることが目的です。よね?

 

元気になるってどういうこと?

痛みが消えればいいの?病気がなくなればいいの?

 

そのためには腕っぷしだけでいいのでしょうか。

 

体調が悪くて苦しんでいるのに、病院にいったら目も合わせないまま診察を終える先生にあったことはありませんか。

 

こっちの話を聞いてくれもしないのに、「じゃあ○○でしょうね、お薬出しておきますね」

と2時間待って5分で診察室から出てくる、そんな経験はありませんか。

 

はい、言いたいのは医療現場では患者さんとのコミニケーションが非常に重要だということです。

 

医療面接、いわゆる問診で患者さんとの信頼関係を築けるかどうか。。 

 

…でも、どうやって??

 

そこで心理学!になるわけです。

 

ああ、ここまで来るのにもこんな長くなってしまいましたね。どないしょ。

 

。。ではここからは心理学のお話です。

 

その心理学では

 

自己と自我の話がでてきます。

 

自己とは?自我とは?

 

相手のことを考えるまえに自分のことを見つめ向き合わなければなりません。

 

これが結構むずかしい。のでここではぜんぶ書きません。書けません。

 

今日すこし話したかったのは、

自我とはなんぞや?

 

ウチの先生、こちらなかなか手も震えてくるお年頃だけどとっても元気でチャーミングな先生です、のお話を聞いていたら突然、

 

メタモンが現れた!のです。

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こいつだ!自我だ!

 

と思いました。

 

自我とは意識下にあるものです。(対して無意識下にあるのが、自己)

 

この世の中を生きていくために、

社会の一員として生きていくために、

一つの個として自分を認識するために、

意識的に作られていくものだと解釈しています。

 

私たちの自我は、まるで、メタモンのように、「へんしん」しながら生きているのです。

 

わたしたちは場所(じぶんの在る社会)に応じて、適応しようとします。

 

その適応が、「へんしん」です。

 

わたしたちは常に周囲と(社会)バランスを取って生きています。

少なくとも、バランスを取ろうとしています。

 

その距離感は人それぞれですが、

 

周囲があるからこそ自分が在ることがわかるのですから、

 

だれもが自分が認識した対応すべきもの(ほとんどが人間(他人)だと思いますが、雰囲気(空気)だとか、空間、中には“天”というちょっと悟りかけてる⁇人もいるかもね)に対してバランスを取って生活しています。

 

その度に私たちの自我=メタモンは「へんしん」していきます。

 

これは言い換えれば「生きる」という、とても自然な行為だと思います。(ちょっと飛びすぎ?)

 

 ただ、

 

自然ではないことも起こり得ます。

 

あまりに強く「へんしん」した姿に固執したり、

 

もしくは無理やり「へんしん」してしまうことでメタモンはダメージ(ストレス)を蓄積することがあります。

 

また「へんしん」した自分がメタモンであることを忘れ、もとの姿への戻り方を忘れてしまうことがあります。

 

この状態になったメタモンたちは

 

SOSを発し、身体、ここでは心も含めます、に何か症状が現れるのだとわたしは考えました。(ここで医療やセラピー、カウンセリングなどが活躍するのでしょう)

 

現代増えているとされる鬱や、自律神経失調症、と呼ばれるものもこの状態の一つ、と捉えます。(わたしは、ですよ。)

 

そう考えると、どうでしょう、

 

もしあなたが何かいまの自分に悩みがあるとすれば、それは「へんしん」した状態の自分に悩んでいるということです。

 

でもあなたはいつだってその「へんしん」解いていいのです。

 

それはあなたの自由です。

 

わたしは「へんしん」=「何者かになる」行為のように思います。(自我はしかしこの行為をやめられません。)

 

ということははじめのメタモンの姿に戻ることは「何者でもない」自分に戻る行為です。(そしてじつは皆んなこれを自然とやっているはずです。)

 

この「何者でもない」という感覚は

 

私にとって非常に平和をもたらしてくれました。

 

「何者でもない」自分がありのままの自分である。

 

そう思うとふわっと身体が軽くなります。

 

そして自由に「何者かになる」こともできますから、いつでも楽しく飽きません。

 

もしかしたら人生はこんなものかもしれない。

 

普段、わたしは常に何かに追われているような焦りを感じるのですが(あれやらなきゃ、がんばらなきゃ、こんなんじゃだめだ…みたいな思考回路が多いのです)、

 

メタモン思考にすると、ふっと楽になります。

 

まだまだ効果はその瞬間だけですが、このメタモンに戻ろう(戻っていいんだ)と試みる瞬間があるだけで、

わたしは鬱や無理しすぎで倒れるとかはないだろな、と思えるのです。

 

 

どうですか、あなたのメタモンはどんなやつですか?

いつのまにかレベルアップしてるんじゃないですか?

え?わざマシンで「へんしん」以外のわざを覚えてたって?

それもいいですね。

 

 

*****

 

…心理学の端っこをほんのひとかじり。

 

こんな楽しいもんだから人類は学ぶことをやめられないんだ。これまでの先人達の足跡だけでもこんなにすげえ。

 

 

うん。人生って、たぶんこんなもんだ。

 

 

もしこんな長い日記読んでくれた人がいたら、本当にありがとうございます。

 

 

追伸

わたしの心理学の先生は人間性心理学を専門としています。